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この写真は、お正月の淡路島旅行の際に寄った北淡町の北淡町震災記念公園で撮影した物です。
そう12年前の今日にあの阪神淡路大震災が起こったのです。
”忘れないで・・・”と言うのは、あの日のことです。
星野は、その日次男を出産し、実家にいた時に遭いました。
実家も大阪市内、それも大阪市内でもまだ高台でどちらかと言うと地盤のしっかりした上町台地の真上。(ただしやはり上町断層と言う活断層の上らしい)
そのため大阪は震度4〜5だったのにもかかわらず、さほど被害も受けずに無事だったのです。
この震災記念公園は、阪神淡路大震災の震源にもなった野島断層を保存しているのです。
1枚目は、その中のメモリアルハウスの外塀です。
ちょうど断層の真上に立っていた家を町が買い取り、保存してあるのです。

断層の上の道路の状態ですね、この写真は。
一時、シロアリの被害で保存状態が危ぶまれた時もあったのですが、今はそれも修復されています。

地面がこんなに簡単にずれるんですから、その時の衝撃はすごかったのでしょうね。
昨日の新聞に、神戸市内に震災後12年も経っているのに屋根も落ちて壊れかけな家がそのままになっている写真が紹介されていました。
12年間、その所有者に連絡がつかないのだそうです。
今でも県外に避難している被災者が多いそうです。
家は倒壊してしまったけど、ローンは残ってて払い続けてるため、新たに家を建てる資金もない。
かと言って保険が下りるのは難しいそうです。
普通の火災保険は普通の火災では保険が下りるけど、地震保険でないと保険適用はならないことを私もその時に初めて知ったのです。
当時のことを振り返ってみると・・・
あの日、早朝いきなりグラグラッと来たので、当時生後間もない次男の真上に照明器具があったので、ないよりはマシと掛け布団を上から腕で支えながらかけて、揺れが治まるのを待ちました。
治まってから、自分の頭の上を見て、頭上のタンスの上にアイロンがあってぞっとしましたが・・・
すぐさまテレビをつけたところ、地震のニュースばかりに変わってましたが、まだこの時は神戸の震度は出ていなかった時間です。
母が急いで確認したところ、水がとまっているので、急遽近くの旦那の実家に泊まってる旦那に連絡して、ミネラルウォーターやジュースなどの飲料を買い込んで来てもらい、旦那はとりあえず会社と当時の自宅(当時は郊外の14階建てのマンションの最上階に住んでました)へ。
後で旦那に聞くと、会社に行くのに電車は当然ながら動いていなかったので、車で行ったところ、道中ところどころで瓦が落ちてたりとすごい状態だったそうで、会社にも出て来ていた社員は少なく(そりゃそうだろう)、少し事務処理と会社の後始末だけして自宅に行ってみて、びっくりしたそうです。
レンジ台はレンジを落としてなおかつ倒れていて、リビングの食器棚は倒れはしていなかったけど、中の食器は飛び出してて半数割れているし、テレビはテレビ台のキャスタに助けられ、場所は動いていたけど倒れていなかったのだと言う。
そして、和室の方を見ると、旦那が長男と寝ていた方と私が寝ていた方の両方の照明器具が外れて落ちており、まだ次男を出産していなければ、自宅にいた訳で旦那も私も長男も頭の上から照明器具が落ちて器具自体と破片で大けがしていたところでした。
自宅は、14階建ての最上階と言うこともあるし、地盤も弱いところなので、なお被害がひどかったのかも知れないです。
旦那がある程度は片付けてくれていましたが、自宅に戻る前に片付けに行った時に見た時もまだまだひどい状態だったので、直後はものすごかったと思います。
後びっくりしたのは、旦那の部屋。
2本の本棚が並んで置いてあったのですが、片方は倒れてぐちゃぐちゃ、でももう片方はそのままだったそうです。
倒れた方は旦那自身が設置した物で、倒れなかった方は私の亡くなった父が設置した方です。
父は、本棚を設置する際に、後ろに重心が行くようにと本棚の前の部分のしたに細長い段ボールをかまして設置していたのに対して、旦那は何もせずに設置していたのです。
たった厚さ1センチにもならない段ボールなのに、すごい物です。
今の家に引っ越した際に、引っ越し屋さんがタンスなどを設置する際に、必ず同じような家具の足元にかませる耐震グッズを設置する家具すべてにセットしてもらったのは言うまでもないです。
自宅に戻る際も、いつもなら時折阪神高速を使っていたのですが、かなり後になるまで阪神高速は緊急自動車のみしか使用できず、全線開通まで相当な期間がかかりました。
あの震災後、しばらく阪神間の電車も長い期間不通になり、線路沿いを歩いて通勤する人、買い出しに行く人が耐えなかったそうです。
後日に聞いた話、私の従兄弟が震災の日、神戸市内にいたそうです。
なんとかケガもなく無事だったそうですが、電車が止まっているため、電車が動いている大阪まで歩いて帰って来たそうです。(従兄弟は奈良に住んでいる)
余談次男出産の際に、旦那の実家に預けていた長男、震災の日に偶然私の実家に泊まりに来ており、震災に遭いました。
その後、しばらく「ガタガタ(地震)が来るからイヤ」と来るのをいやがってました。
おまけもメモリアルハウスの中の写真。

角度を変えて撮ったもの

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そう12年前の今日にあの阪神淡路大震災が起こったのです。
”忘れないで・・・”と言うのは、あの日のことです。
星野は、その日次男を出産し、実家にいた時に遭いました。
実家も大阪市内、それも大阪市内でもまだ高台でどちらかと言うと地盤のしっかりした上町台地の真上。(ただしやはり上町断層と言う活断層の上らしい)
そのため大阪は震度4〜5だったのにもかかわらず、さほど被害も受けずに無事だったのです。
この震災記念公園は、阪神淡路大震災の震源にもなった野島断層を保存しているのです。
1枚目は、その中のメモリアルハウスの外塀です。
ちょうど断層の真上に立っていた家を町が買い取り、保存してあるのです。

断層の上の道路の状態ですね、この写真は。
一時、シロアリの被害で保存状態が危ぶまれた時もあったのですが、今はそれも修復されています。

地面がこんなに簡単にずれるんですから、その時の衝撃はすごかったのでしょうね。
昨日の新聞に、神戸市内に震災後12年も経っているのに屋根も落ちて壊れかけな家がそのままになっている写真が紹介されていました。
12年間、その所有者に連絡がつかないのだそうです。
今でも県外に避難している被災者が多いそうです。
家は倒壊してしまったけど、ローンは残ってて払い続けてるため、新たに家を建てる資金もない。
かと言って保険が下りるのは難しいそうです。
普通の火災保険は普通の火災では保険が下りるけど、地震保険でないと保険適用はならないことを私もその時に初めて知ったのです。
当時のことを振り返ってみると・・・
あの日、早朝いきなりグラグラッと来たので、当時生後間もない次男の真上に照明器具があったので、ないよりはマシと掛け布団を上から腕で支えながらかけて、揺れが治まるのを待ちました。
治まってから、自分の頭の上を見て、頭上のタンスの上にアイロンがあってぞっとしましたが・・・
すぐさまテレビをつけたところ、地震のニュースばかりに変わってましたが、まだこの時は神戸の震度は出ていなかった時間です。
母が急いで確認したところ、水がとまっているので、急遽近くの旦那の実家に泊まってる旦那に連絡して、ミネラルウォーターやジュースなどの飲料を買い込んで来てもらい、旦那はとりあえず会社と当時の自宅(当時は郊外の14階建てのマンションの最上階に住んでました)へ。
後で旦那に聞くと、会社に行くのに電車は当然ながら動いていなかったので、車で行ったところ、道中ところどころで瓦が落ちてたりとすごい状態だったそうで、会社にも出て来ていた社員は少なく(そりゃそうだろう)、少し事務処理と会社の後始末だけして自宅に行ってみて、びっくりしたそうです。
レンジ台はレンジを落としてなおかつ倒れていて、リビングの食器棚は倒れはしていなかったけど、中の食器は飛び出してて半数割れているし、テレビはテレビ台のキャスタに助けられ、場所は動いていたけど倒れていなかったのだと言う。
そして、和室の方を見ると、旦那が長男と寝ていた方と私が寝ていた方の両方の照明器具が外れて落ちており、まだ次男を出産していなければ、自宅にいた訳で旦那も私も長男も頭の上から照明器具が落ちて器具自体と破片で大けがしていたところでした。
自宅は、14階建ての最上階と言うこともあるし、地盤も弱いところなので、なお被害がひどかったのかも知れないです。
旦那がある程度は片付けてくれていましたが、自宅に戻る前に片付けに行った時に見た時もまだまだひどい状態だったので、直後はものすごかったと思います。
後びっくりしたのは、旦那の部屋。
2本の本棚が並んで置いてあったのですが、片方は倒れてぐちゃぐちゃ、でももう片方はそのままだったそうです。
倒れた方は旦那自身が設置した物で、倒れなかった方は私の亡くなった父が設置した方です。
父は、本棚を設置する際に、後ろに重心が行くようにと本棚の前の部分のしたに細長い段ボールをかまして設置していたのに対して、旦那は何もせずに設置していたのです。
たった厚さ1センチにもならない段ボールなのに、すごい物です。
今の家に引っ越した際に、引っ越し屋さんがタンスなどを設置する際に、必ず同じような家具の足元にかませる耐震グッズを設置する家具すべてにセットしてもらったのは言うまでもないです。
自宅に戻る際も、いつもなら時折阪神高速を使っていたのですが、かなり後になるまで阪神高速は緊急自動車のみしか使用できず、全線開通まで相当な期間がかかりました。
あの震災後、しばらく阪神間の電車も長い期間不通になり、線路沿いを歩いて通勤する人、買い出しに行く人が耐えなかったそうです。
後日に聞いた話、私の従兄弟が震災の日、神戸市内にいたそうです。
なんとかケガもなく無事だったそうですが、電車が止まっているため、電車が動いている大阪まで歩いて帰って来たそうです。(従兄弟は奈良に住んでいる)
余談次男出産の際に、旦那の実家に預けていた長男、震災の日に偶然私の実家に泊まりに来ており、震災に遭いました。
その後、しばらく「ガタガタ(地震)が来るからイヤ」と来るのをいやがってました。
おまけもメモリアルハウスの中の写真。

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